禅
禅の根本目標は、菩提(悟り)を求めて参禅生活に励み、すべての衆生(人類と全生物)が救われてるのを持って、自分もまた救われようと願うことである。
禅的根本目标是追求菩提(开悟),致力于参禅的生活,等到众生(人类与全体生物)皆得到拯救之日,自己也会得到拯救。
禅の歴史
禅的历史
仏教では悟りを得る方法の一つとして古くから座禅を行ってきたが、中国に起こった禅宗では座禅に徹することを要求し、日常生活すべてを座禅の修行の一環であるとしている。
自古以来,坐禅即为
佛教悟道的方法之一,源自中国的禅宗,为彻底实行坐禅,禅者便将日常生活的一切视为坐禅。
日本には12世紀末に栄西によって臨済宗が、鎌倉時代初めに道元によって曹洞宗がもたらされた。臨済宗は座禅をしながら、師匠から次々に出される「公案」と呼ぶ問題を考え、それを解決することによって悟りを開こうという派。公案の一例に「隻手の音声」がある。「両手を打てば音がするが、片手だけではどんな音がするか」と問うて、哲学的な考察を重ねさせる。主に貴族や上級武士に支持された。京都の大徳寺、南禅寺、鎌倉の建長寺、円覚寺などがこの派に属する。
12世纪末期,荣西将临济宗引进日本,
镰仓时代初期,道元将曹洞宗引进日本。临济宗是在坐禅的同时,一面思索师父逐次提出的所谓“公案”问题,并在解决问题的过程中开悟。例如以公案中的“单手之声”为例,师父提出问题“拍打双手会发出声音,只用单手会发出什么声音?”让修行的弟子反复地进行哲学性的思考。这主要受到贵族或上层武士的支持。京都的大德寺、南禅寺、镰仓的建长寺,圆觉寺等都属于该派。
曹洞宗の特徴は道元が言っているように「只管打坐」である。つまり、ひたすら座禅をすることによって悟りを開こうとするもの。権力と虚栄を嫌った道元は福井県の山中に永平寺を開いて、だれでもが悟りを開けるのだと、下級武士や一般の人々に座禅を勧めた。
曹洞宗的特征如道元所言,是“只管打坐”。也就是单凭坐禅便能达到开悟的目的。厌恶权利和虚荣的道元在福井县的山中创建永平寺,主张任何人皆可开悟,并鼓励下级武士及一般民众坐禅。
江戸時代初期には、中国から来朝した隠元によって黄檗宗が開かれた。経文や動作、飾りなどすべて中国風そのままであることを特徴とした。
江户时代初期从中国东渡日本的僧人隐元创立了新的宗派——黄檗宗,其特征是无论经文,动作或是装饰都保持着中国的风俗。
禅と日本文化
禅和日本文化
禅が日本文化に与えた影響は大きい。特に室町時代、中国との交流が盛んで、その先端に立って臨済宗の僧侶が、貴族や上級武士の間に中国文化を紹介した。文学では、禅僧を中心にした漢文学が「五山文学」の名で呼ばれた。五山とは、最も格式の高い五つの禅寺のことである。絵画では水墨画が中国からもたらされると同時に、雪舟ら多くの禅僧が山水画や頂相と呼ばれる僧侶も肖像画を描いている。また庭園では禅の精神にのっとった飾り気のない石庭、枯山水の庭などが作られた。さらに茶も、栄西により
抹茶による喫茶法が伝えられ、安土・桃山時代には千利休をはじめとする多数の茶の宗匠が禅を学び、その精神を生かしたわび茶を生み出した。
禅对日本文化造成的影响极大。尤其在室町时代,日本与中国的交流极盛。作为先导的临济宗僧侣们将中国文化介绍给了贵族和上层武士。在文学方面,以禅僧为中心的汉文学称为“五山文学”。所谓的“五山”是指地位最高的五座禅寺。在绘画方面,水墨画从中国传入的同时,雪舟等诸多禅僧也开始着手画山水画和称为“顶相”的僧侣肖像画。在庭院方面,出现了依循禅的精神建造而成的毫无修饰的石庭或枯山水庭院。在
茶道方面,荣西将抹茶的饮茶方式传入日本,在安土桃山时代,以千利休为主的众多茶道师开始学禅,从禅的精神中创造出了“佗茶”。
現在、禅宗の信徒は約327万人(1996年末)で、仏教の5.3%であるが、仏教寺院約7万5000のうち2万1000が禅宗系で、特に曹洞宗は約1万4700と、全寺院約2割を占めている。これらの寺院では一般の信徒を含めた参禅会などを開いている。海外へは鈴木大拙が積極的に紹介し、曹洞宗では弟子丸泰仙がヨーロッパへの布教に力を入れた。
现在禅宗的信徒约有327万人(1996年底),虽只占佛教信徒的5.3%,但在全国75000座,占全部寺院的两成。这些禅宗寺院都会定期举行一般信徒也可参加的参禅会。铃木大拙积极地向海外宣扬禅宗教义,曹洞宗的弟子丸泰仙也致力于向欧洲传教。